これって虐待?or not

認めるべきか、止めるべきか、それが問題だ

第52回  逃げられない! 教育虐待or not

こんにちは、ペンシルです。

妻の子供たちへの指導が厳しすぎて、まさかこれが教育虐待というものなのか⁉と思い悩む日々を過ごしています。

そういった家庭内の状況をご相談させていただきたく恥を忍んで現状を公開していこうと思っています。

有益な情報というより、皆さんにご意見をいただいたり、同じ悩みを持つ方へ共感や、このケースではこうしたらよかったなど情報交換の場となっていければいいと思っています。

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第52回は「逃げられない!」です。

 

『教育虐待 子供を壊す「教育熱心」な親たち』
という以前読んだ本のメモ的な抜粋を見つけたので
記事にしてみました
 
以下抜粋ですーーーーー
 
子供たちはなぜ、親の言葉の暴力から逃れようとしないのだろう。受験勉強をやめるという選択もできるのではないか。実際にそれができる子供はきわめて少ない。彼らは親の洗脳に加えて、日頃から退路を断つ言葉をかけられている。それによって逃げることができなくなっているのだ。  次のような文句である。 「これで不合格だったら、うちは家庭崩壊することになる!」 「家族みんなが世間に顔向けできなくなる!」 「レベルの低い学校へ行ったら、あんたなんてすぐにいじめられるわよ!」 「あなたは一生、負け組のままでいいの?」 「やらないなら、今すぐ家から出ていって自分一人で生きていけばいい」。虐待親は、往々にして子供から逃げ道を奪っていることに無自覚だ。だからこそ彼らは次のように言い放つ。 「私は強制をしたことなんて一度もない。やめたければいつでもやめていいって何度も言った。それでも勉強をしていたんだから、あの子は自分の意志でやったの」  やめられない状況に追いつめておきながら、やめたければやめればいいと言うのだ。
しかし、こうした状況下で、子供が自分の意志で受験勉強をやめる決断を下すことなどできるわけがない。子供は不本意ながら涙を流しつつ、「がんばります」「やらせてください」と答えざるをえなくなるだろう。このように見ていくと、教育虐待下において子供たちがいかに親に支配されているかがわかるのではないか。その中で心に傷を負っていくことこそが、心理的虐待と呼ばれる所以なのだ。

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類似する点が多くていいね(共感)が止まりませんでした

もしかしたらまた”確証バイアス”かもしれませんが

 

penncylvania-family.hatenablog.com

 

具体的には

中学受験をやめたいと思わせないように

とにかく退路を断ちます

 ✓公立校を否定する

 ✓自分の期待に応えられなければどうなるかわかるよね?と聞く

 ✓いい仕事につけなくなると不安をあおる

 ✓お金もらえなきゃ暮らしていけないと脅す

これらはこれまでも紹介してきました

 

そしてこれです

「塾行かなきゃ怒らないとかそういう問題じゃない」

 

録音が間に合いませんでしたが

この前に

「塾行こうが行くまいが、怒鳴りますから」

と言っていました

 

つまり

塾を辞めさせたのはすっかり僕のせいになっているわけですが

(これは事実ではありませんが)

penncylvania-family.hatenablog.com

 

”あなたが塾を辞めさせたところで、怒鳴る”

と宣言しているわけです

(くどいようですが、塾を辞めさせたのは妻です)

 

受験をしてもしなくても怒鳴られるとハッキリと言われたお姉ちゃん

妻がいなくなったところでフォローに行きましたが

”受験してもしなくても怒鳴られる”

”どちらにしても文句言われるなら勉強で怒られる方がマシ”

 

相当追い込まれています

普通に考えれば

”どちらも怒鳴る”

なんておかしいです

しかし、精神的に追い込まれているのか

”どちらも怒鳴られる”が前提になってしまい

”どちらを選ぶか”という思考回路になってしまっています

 

思考回路が、前提が普通ではなくなってしまっています

 

逃げ道を作らないで選ばせておいて

受験を望んだのはお姉ちゃんだ”

とさせるなんて

詐欺みたいな方法です

 

まさに「教育虐待」に書かれている

”退路を断たれた状態”です

 

僕は中学受験に反対ではありませんが

そのやらせ方は違うだろ

と思っています

 

私は受験をやめてくれと言っているのではなく

怒鳴るのをやめてくれと言っているのですが

それは一向に妻には伝わりません

 

penncylvania-family.hatenablog.com

 

自分で受験をさせたかったのに

思い通りにいかなかったから辞めさせ

やはり受験させたくなり

僕の”そんなやらせ方で勉強させるな”

の”勉強させるな”だけを切り抜き

僕が受験するのを禁止したように思いこみ

それを子供にぶつける

 

その場の感情のみで他人を責め

都合のいい解釈に都合のいい解釈を重ねて重ねて

なにが真実だったのか見失っています

 

”子供のため”と言ってはいますが

実際には”自分の意見を通すため”

が行動原理になっているように思います

 

子供は自分の所有物ではありません

一人の人格です

自分の思い通りにできると思って欲しくないものです