これって虐待?or not

認めるべきか、止めるべきか、それが問題だ

第49回 勉強させないのはパパのせい?教育虐待or not

こんにちは、ペンシルです。

妻の子供たちへの指導が厳しすぎて、まさかこれが教育虐待というものなのか⁉と思い悩む日々を過ごしています。

そういった家庭内の状況をご相談させていただきたく恥を忍んで現状を公開していこうと思っています。

有益な情報というより、皆さんにご意見をいただいたり、同じ悩みを持つ方へ共感や、このケースではこうしたらよかったなど情報交換の場となっていければいいと思っています。

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第49回は「勉強させないのはパパのせい?」です

早速音声です

これ朝です

出勤、通学の前です

朝からこれです

しんどいです

 

妻曰く

お姉ちゃんに受験をさせないのは

”僕が勉強をさせるな”と言ったからだといいます

 

受験をさせないと決めたのは妻です

お姉ちゃんと話し合って、向いてないと思った

もう決めた と言っていました

penncylvania-family.hatenablog.com

 

”僕がやめろと言ったから”

なんてひと言も言っていません

 

このときも

「やめ、いい加減やめ」

といっています

受験を、勉強を辞めると言っています

お姉ちゃんが自分の望むようなパフォーマンスを出せなかったから

やめると言っています

僕が言ったからではありません

 

さらにここでは、

「ママの都合で受験させない」

と言っています

”パパのせい”どころか

”ママの都合”とハッキリと言っています

 

penncylvania-family.hatenablog.com

 

 

 

しかし、やはり受験をさせたいと思ったんでしょう

なんせ自分がさせたいと思っているので

しかし今更引っ込められないと思ったのか

その場その場で言うことをコロコロ変えてるから分からなくなってしまったのか

僕のせいにして責任転嫁しようとしようとしているのか

”パパがするなといっているからあなたは勉強させてもらえない”

という話にすり替えてしまっています

 

確かに”そんな勉強はしなくていい”と言ったことはあります

しかしそれは正確ではなく

受験や勉強を否定するものではありません

”そんなに怒鳴られながら・馬鹿にされながらやる勉強はしなくていい”

と言ったんです

条件が付いているんですね

それを“勉強しなくていい“だけ切り取って

都合よく利用してるんです

 

基本的に僕は、中学受験をしようとしまいとどちらでも構わないと思っています

突き放す意味ではなく、必ずしも必要なものではないし、前向きに取り組めればどちらもいいものにはならないと思っているからです。

怒鳴られながら、罵倒されながらやることに受験だって趣味だって前向きにはなれません。

 

penncylvania-family.hatenablog.com

 

なので受験しようがしまいが、怒鳴るようならどちらも反対です。

“勉強“がやめさせる対象ではなく

“過剰な叱責“が対象なんです

 

しかし何度説明してもわかってくれません

 

いや、理解はしていると思うんです

 

それでもこの話になると

分が悪いと思うのか

この音声でもありますが

「こう育っちゃったんです~すみません~」

と開き直って終わってしまうのです

 

penncylvania-family.hatenablog.com

 

そして妻は独特の理論を展開します

いつもどおり一方的に話しているので

ぼくも話してもいいか確認しますが止まりません

そして言います

「今は私が話すとき」

「話したいことがあればお時間下さいって言えばいいじゃん」と

話し合いってそういうもんでしたっけ?

お互いの意見を交換するんではなくて

自分が言うためだけの時間

相手の話を聞くだけの時間

と明確に分けて話す(?)ものでしたっけ?

 

じゃあ(百歩譲って)僕のせいで勉強させないとするなら

お姉ちゃんを責めないであげて欲しいと伝えても

「しょうがない、言われ続けるしかない」

なぜでしょうか?

あなたの気持ち次第です

納得できないのはあるのかもしれませんが

その不満を子供にぶつけても何も前進はありません

そう伝えても

「お姉ちゃんの人生なんだから仕方ない

それが私の責任の取り方だ」

といいます

父親に勉強を止められて

それが原因で娘を責めることが責任を取ること??

(??正直この部分はよく分かりませんでした)

 

この道(中学受験をする人生)しか知らないから

そうじゃなきゃ分からない

といいます

自分と同じ道じゃなきゃ安心できないんですか?

しかもそれを強要するんですか?

知らない道だったらこれからもそうするんですか?

子供の自由意志はどうするんですか?

 

受験したなら剣道はできるけど

公立校なら剣道はやらせない

言っています

妻はことあるごとに剣道を人質にとります(人?)

「辞めさせる」とか

「手伝わない」とか

ひどいときには

「剣道道具は私が揃えたものだから捨てておくね、続けたければ自分で揃えなよ」とまで言います

 

さて数々のキワドイ発言がありますが

特に下記が気になりました

「公立校いく子なんてサポートできない」

「こんなにも”ママが”公立校嫌がっているのに」

「受験させてもらえないんだから、ママの前で勉強しないで」

「公立校行った方がバカにされるよ」

”ママが”イヤだから、”ママの”思いを言っているだけ」

”ママが”協力できる学校にいけるかな?」

「みんながよろこぶ学校に行くんじゃなくて、くだらない学校にいくのね」

 

これらを見ていると

誰のための受験なんだ?

と思わずにはいられません

 

子供のために頑張って欲しいのか

”いい中学に言っている娘の母親”になるために

子供を頑張らせているのか

どちらなんでしょうか

 

ここで少し話はそれますが

先日たまたま聞いたpodcastで響いた言葉があって

”認知の中に他者が不在な人がいる”

っていう言葉がありました

”○○はこう思っているはずだ”と考えたり

”人の自由意思を裏切りととらえる”

という思考回路の人のことみたいです

 

勝手に相手の理想像を作って期待してしまう

って感じかな?違かったらすみません

 

すごい腑に落ちたんです

 

他者に対して過度の期待があって

それに対して自分の理想ばかりで

実は他者の認知が全く入っていないんです

なのでお姉ちゃんが期待に沿えないと憤慨し

自分の考えと違うお姉ちゃんの自由意思を裏切りと捉えてしまうんだと思います

僕の言葉も同様で

だから僕らは妻にとって敵になってしまうんです

 

penncylvania-family.hatenablog.com

 

中学受験をしなくて上手くいかないことはあると思いますが

違う道であっても成功や喜びもあると思うんです

自分の思いこみだけでそれ以外を否定するようなことはしないで欲しいです

もしかしたら妻にとっての思いやりなのかもしれませんが

それはやさしさではなく執着と思い込みであって

いくらお姉ちゃんのためだと言ったって

あんなに怒鳴られたら、優しさとして受け取れません

 

話を戻しますと

”ママが”受験してほしくて

”ママが”公立校に行って欲しくなくて

”ママが”いいと思う学校に行って欲しくて

それでたぶん

お姉ちゃんもそう思っているはずだ

と思って

少し期待に沿えなかったら

裏切られた、あなたも敵だ

となったわけですね

 

でも受験は諦めきれないから

今度は僕のせいにして

受験をさせようとしている

ということですね

 

そしてあわよくば

子供達にもそう思わせようとして

ちょこちょこ

「子供達のことは考えずに、パパの気持ちだけでやらせないなんてひどいねー」

と入れてきます

 

ここで大事なのは

じゃあ頑張るので受験させてください

と言わないことだと思っています

 

そうなると

「あなたたちやるっていったわよね」

と、こちらが希望したみたいに形にしてしまうと

向こうの横暴を止められなくなる可能性があるからです

 

しかし

さてどうしよう

結果的には受験勉強させてもさせなくても

怒鳴られているという可哀そうな状況に変化は起こせませんでした

 

うーん どうしよう

考えねば

 

 

〈おまけ〉

最後の方で

「お姉ちゃんを責めていると思っている時点でずれている」

と言っていますが

これを責めてないと言えますかね??

 

penncylvania-family.hatenablog.com